スピーチ
その作成法と実例集

ホーム | サイト案内 | スピーチの基本T U V | 朝礼のスピーチ | 朝礼の話 | 結婚式のスピーチ
葬儀の挨拶 | 挨拶のまとめ方 | アドバイス | スピーチの実例 | 有名人のスピーチ | スピーチ話題集
葬儀の挨拶
弔 辞

 里見 ク
 佐多稲子
 太田 薫

戻る  会葬のお礼へ

故 久保田万太郎

里見 ク

久保田君、君はこのむずかしい世の中を、ちっとも手を抜かずに、幅広く、働きどおしに働いて来たし、その成果の立派さも、ことごとく世の認めるところだから、・・・欲を言えば、まだまだしたかったこと、はたからはして貰いたかったことも数あろうけれど、まあまあ心残りがないと言ってよかろう。永々御苦労さまでした。心安くおやすみなさい。さようなら。

故 広津和郎

佐多稲子

一昨日のご出棺に御遺体を花でつつみながら、お別れの突然でありましたことに取りかえしようのない心残りが深く、私などは自分の御無沙汰が申し訳ない思いでございました。
広津さんがただ今もお仕事をおつづけ中であるということに、あまりにも頼り過ぎていたようであります。お仕事をしていらっしゃればおさわりないことと思いますのは、広津さんに対してこちらの依存しておりましたことであります。日頃から私などは広津さんがわが文壇にいて下さるということを誇りにいたし、自分の支えともしていたものでありました。

  今日のお別れにあい、切実に、大切な人をうしなったという思いにあふれております。このことは多くの人の思いも同じでございましょう。広津さんのお仕事を支えと思う人がどんなにか多かろうと信じております。
広津さんは、作家の資質の大きなひとつである真実を極めるということを、最も高い立場でお示しになりました。申すまでもなく松川裁判批判という、数年にわたった激しいお仕事が言いつくせぬ貴いものとして、私どもの前に残されております。
広津さんの精神の高さと強靭さは、多くのことを救われたと申さねばなりません。このお仕事の意味は、幾重にも深いものでございました。

  しかし広津さんはいつもさりげなく私どもに接して下さいました。が、そのお話の、人間について芸術について、深く鋭く、また温かいものであったことを忘れ得ません。まことの良識というものに触れたとおもっております。
また文芸家協会に対しては、昭和二十四年の三月から二十六年の三月まで、会長としてこの会の進展に力をお寄せになりました。このこともお礼を申し上げます。

  御霊前のお写真を仰ぎ、美しい作家の御生涯であったことをわが心に銘じて、お別れの悲哀につつまれております。大切な人を私どもはうしないました。今はただお礼を申上げるのを、お別れの言葉にいたします。
ありがとうございました。      昭和43年9月25日

「神とともに行け」 開高 健著より


話し方手帳

故 山崎五郎

太田 薫

山崎さん、わたしは朝、新聞を見て、本当に残念でびっくりしました。
参議院議員になられて働く職場がちがいますから、めったに、その温顔に会う機会がありませんでした。こんなに早く死なれるとは思ってませんでしたから・・・。
長い間お世話というよりは御指導を受け、一人前の労働運動ができるようにしていただいた山崎さん。お礼もいわずに亡くなられたこと、会えなかったこと、本当に残念に思ってます。

  あなたは長い間、組合課長をされました。役所というところは、学歴、学閥がモノをいうところで、力がありながら組合課長が長かったと思います。よく辛抱されたと思います。
それは、山崎さんが、労働行政を労働者のためにやるべきだという使命感があったからだと思います。そしてその長い辛抱が外側から見て、重みと厚さを加えて、そして当時のヤンチャ坊主であるわたし達を説得指導されて、日本の労働運動を正しい方に導かれたと思います。

  ありがとうございます。本当にありがたく思っています。
山崎さんが、これからおられたら、と思って、残念でたまりません。特に低成長で、労使の間が厳しくなり、そして公務員のスト権が問題になる時、山崎さんを失ったことは、労使というよりは、国家の損失だと考えております。
しかし、いくらいっても、もう還られることはありません。山崎さん、ありがとうございました。さようなら。

「ここ一番役立つ有名人・名スピーチ集」 より

葬儀の挨拶弔辞会葬のお礼
ホーム | スピーチの基本朝礼のスピーチ朝礼の話結婚式のスピーチ葬儀の挨拶挨拶のまとめ方 | スピーチの実例有名人スピーチ

Copyright (C) SEIWA Kawakami All Rights Reserved /2009 6 23
このホームページに記載された全てのコピー・転載を禁じます。